【阿部 秀之のレンズの深ぼり#01】17-35mm 世界最小、最軽量にはタムロンならではの高倍率ズームで培った“モノづくり”が!

アベっちのレンズの深ぼりパート1
~17-35mm 世界最小最軽量、軽い・小さいは正義~
タムロンが超広角ズームに力を注いでいる。世界最小、最軽量を達成したTAMRON 17-35mm F/2.8-4 Di OSD (Model A037)。そしてもう1本は定評のあったSP 15-30mm F/2.8 Di VC USD (Model A012)を改良して新モデルとしたTAMRON SP 15-30mm F/2.8 Di VC USD G2 (Model A041)だ。
超広角ズームと聞いて「興味ないなぁ」と思ったあなた!なんと残念。超広角こそが写真が上手くなるレンズなのに。それはなぜか?
望遠は切り取るレンズだから、被写体は大きく写り画面は自然に整理され、わかりやすい写真になる。ところが超広角では被写体は小さくなるし、画面に余計なものがあれこれと入ってきて散漫になってしまう。超広角は画面の整理ができないと下手に写るのだ。超広角に興味を持てない人は、ここで止まっている。被写体との距離や位置を工夫して、超広角でも画面を整理できるように練習する。この過程で写真が上手くなる。超広角でしっかりとした写真が撮れるようになれば、望遠はさらに上手く撮れるようになる。
だが、練習したくても本格的な超広角ズームは、大きく重く高価なものが主流だ。ツウな人のレンズ。わかっている人のレンズという扱いだからだ。そこでタムロンは、自らがビギナー向けの本格的な超広角ズームを開発することにした。それが17-35mm F/2.8-4 Di OSD (Model A037)だ。まず大きく重たくてはいけない。大きく重くなれば、価格も高価になる。それならと世界最小&最軽量を目標にした。しかし、それにはいくつもの決断を強いられることになる。
最初に決めなければならないのは、焦点距離だ。本格的な超広角を名乗るには15mmが理想だが、15mmになると小型軽量化はしにくくなる。またビギナーには15mmは広すぎて使いにくい可能性が高い。そこでワイド側は17mmにしてテレ側を35㎜までカバーするようにした。いきなり17mmは使いにくくても35mmがあれば次第に慣れて使えるようになるだろうという判断だ。またワイド側を17mmにすると開放F値を2.8にできることがわかった。35mm側ではF/4の可変式になってしまうが、17mm側だけでも明るいのは歓迎される確信があった。
焦点距離:17mm 絞り:F/5.6 シャッタースピード:1/30秒 ISO感度:400
ハノイで泊まったホテル。フランスの影響かヨーロッパのホテルのような内装だった。17mmは超広角の入り口だが、十分に超広角らしい写真が撮れる。
焦点距離:35mm 絞り:F/4 シャッタースピード:1/15秒 ISO感度:200
ドアのガラス越しにロビーを撮影。35mmまであるとボケを活かした撮影もできる。タムロンレンズのボケは総じて軟らかく好みだ。
最小・最軽量のための苦悩
小型軽量化を達成するには、まだ考えなければならないことがある。それは手ブレ補正だ。タムロンの手ブレ補正機構「VC」は効果が素晴らしいと定評があるが、VCはレンズの小型化には相反する要素だ。ユーザーからは、レンズが小型軽量なら三脚も小型で済むので手ブレ補正なしもありだという意見も寄せられていた。VCを搭載するかしないかは議論が続けられたが、最後には搭載しない結論に達した。世界最小&最軽量が現実味を帯びた瞬間でもあった。
広角になるほどブレは目立ちにくい。手ブレしにくいシャッター速度を昔風に計算するなら17mmは1/17秒が切れたらOKだ。いまのデジタルカメラは高感度が得意だ。安全を見越して1/20秒としても、少し感度を高めたら1/20秒は容易に設定できる数値だ。
ユーザーは「軽さは正義」、「明るいは正義」ということがある。だが、通常は相反する予想だ。軽さと明るさを両立できるこのレンズを、商品企画を担当したKは、偶然にもアベの大学の後輩で、彼も写真をよく撮っている。超広角の使い方を熟知しての商品企画だ。だが、ビギナー向けといいながらも高い精度を求め過ぎて、周囲からはどこがビギナー向けなんだ。追求し過ぎだ!との声も上がったという。
ズームレンズは小型化を追求するほどレンズ1枚の精度が要求され、量産の難易度が上がる。これをレンズの感度が高くなるという。またズーミングによって複雑な動きをするものがある。このレンズも5個のユニットの内、4個のユニットがそれぞれ別の動きをする。動くユニットの数が多いほど調整が難しくなる。これを可能にしているのは、タムロンが長年に渡って高倍率ズームで得た技術だ。
高画質の追求
光学設計者は限りなく量産の難易度を抑える設計をした。その痕跡は一番後ろに配置した3枚接合レンズに見られる。この3枚接合が成り立つか否かが、このレンズを量産できるかの鍵になっていた。2枚接合は珍しくないが、3枚だと硝材選びを間違うと、レンズはあっけなく割れてしまう。チャレンジと試作検証の結果が量産に結びついた。こうして実現されたレンズ描写はビギナー向けとは思えないほど高いレベルに達していた。風景や建築写真はもちろん、点光源を写す星を撮影しても周辺まで高画質が得られるまでになった。
レンズ構造図
静かで正確なAFの追求
もうひとつ忘れてはならないのは、静音と高精度を両立させたAF駆動ユニットだ。このレンズには、AF制御の駆動ユニットとしてOSD(Optimized Silent Drive)を搭載している。AFの駆動音の9割以上は、歯車同士のぶつかりによって発生している。OSDもDCモーターからの動力を重いレンズを動かせるように歯車を使ってトルクを上げている。
駆動音を小さくするために基礎開発本部のTが立ちあがった。試行錯誤の上で大きく3つのポイントを改善し静音化を達成した。
- 全歯車の樹脂化
- 2種類の樹脂素材で位置ごとに最適化
- メタル軸受で軸のガタを減らし、滑らかな動きに
そして設計精度を突きつめた結果、静音化と位置精度向上を同時に得られるという嬉しいオマケが付いてきた。歯車のガタを極限まで減らし滑らかに動かせるようになると、フォーカス群の停止精度がとても「良く」なった。モーターで高速に動かして狙い通りの場所に止めることができた。つまり静音化を追求したらAFの精度と速度を自動的に向上させることができたのだ。磁気でフォーカス群の位置を検出するセンサーも追加し、制御システムを駆動ユニットに合わせて最適化もしている。
17-35mmが作られている、ベトナム ハノイ工場の様子
17-35mm F/2.8-4 Di OSD (Model A037)の記事を書くにあたって、製造の現場を見たくなった。タムロンの工場といえば、青森の弘前、中国の佛山が有名だが、このレンズは新しく作られたベトナムのハノイ工場だという。以前に訪ねた佛山の工場は巨大だったが、ハノイの工場はそこまでではない。だが、生産はシステム化され高いレベルで作業されていた。ハノイ工場の詳細は、2019年のCP+でお伝えしたいので、今回は少しだけ紹介する。
取材の時は少し前に購入したニコン Z 6にマウントアダプターを介して17-35mmを装着して使っていた。このレンズもこのハノイ工場で誕生したものだ。もしかすると初めて里帰りをしたレンズになったのかもしれない。
オンとオフ。ハノイ工場の社員たち。休憩時間になるとベンチに座ってスマホいじりが楽しみ。明るい人が多く、笑顔が絶えない。ピースサインをしてくれている人もいる。
タムロン17-35mm F/2.8-4 Di OSD (Model A037) を使用してみて
タムロンが17-35mm F/2.8-4 Di OSD (Model A037) を発売すると聞いて、最初はちょっと面食らった。これまでのSP 15-30mm F/2.8 Di VC USDをモデルチェンジした G2 (Model A041)とほぼ同時に発表されたからだ。マニア向けの超広角ズームを2本なんていらないだろうと思った。だが、現物を見てみると17-35mmは、15-30mmとはまったく異なるものだった。なんと小型なのだろう! 持って見るとさらに驚く。軽い!! ワイド側の焦点距離を2mmだけ遠慮して17mmに。明るさがF/2.8固定でなくF/2.8~4へ可変にすると、こうまでも小型軽量化できるのかと驚いた。まさに17-35mmは「小さいは正義」を体現した超広角ズームだ。
また、発売当初はニコン Z7との組み合わせで「ニコン マウントアダプター FTZ」を介して使用した際に正常に動作しなかったのだが、1ヶ月もしたらファームウェアのアップデートにより対応可能と公示された。早速TAP-in Console(別売) を使用してアップデート作業を行ったところまったく問題なくZ7で動作するようになった。後日、ニコン Z6も試してみたがこちらも問題なかった。ニコンZシリーズは、ボディ内で手ブレ補正を行う方式だ。ということは、このレンズとの相性がいい。小型軽量だからニコンのマウントアダプター FTZを介しても気になることはなかった。
写真家プロフィール

阿部 秀之 Hideyuki Abe
東京生まれ。東京工芸大学短期大学部写真技術科卒業。
タムロン宣伝課を経て、86年よりフリー。ヨーロッパの風景、コマーシャルなど、幅広いジャンルを撮影。フリーになると同時にカメラ専門誌にも執筆をはじめ、現在は月刊カメラマンに「定説 新説 珍説 アベっち教授の再検証」を連載中。
数多くの写真展を開催。技術的な解説も得意とし、1987年からカメラグランプリ選考委員を歴任している。